【漫画】「とりかえ・ばや」―平安の世に自分らしく生きる

【漫画】「とりかえ・ばや」―平安の世に自分らしく生きる

 

とりかえ・ばや(フラワーコミックスα)
著者/さいとうちほ
出版/小学館

この漫画の原作は平安時代に成立した「とりかへばや物語」(作者不詳)。同じ日に違う母から生まれた腹違いの姉と弟の物語です。

姉の「沙羅双樹」と弟の「睡蓮」は、腹違いの姉弟といえども見た目はうり二つ。しかし、社交的で活発な姉と内気でおとなしい弟を見て、父親である権大納言は「とりかへたや」(とりかえたいなあ)とつぶやくのでした。

平安時代にすでにあった男装女子と男の娘というジャンル

男の子が女装、女の子が男装して日常生活を送るというのは、現代のコンテンツでは珍しくないシチュエーション。しかしその原点ともいえる作品が平安時代に誕生していたというのは驚きです。日本人のDNAに刻まれてるの?

男として宮廷に仕える姉・沙羅双樹

姉弟は美しく育ち、とくに武芸に秀でた姉・沙羅双樹の評判はうなぎのぼり。ついにそれは帝の耳に入り、本人も自らの力を試したいと、元服を経て男として出仕します。しかし、宮廷には自分のように男のなりをした女性がいるものだと思っていたのに見当たらない。やがてそういった存在は自分だけであることを知り、自らが選んだ道の険しさを知ります。

沙羅双樹は、男の格好をして男に与えられた役目をこなすのがごく当たり前だと思っていた。でも、実はそうじゃない。当然だと思っていたことがそうではないというのは、成長過程で誰もが経験することですが、そういう場面に直面したときどんな方向に進むかは人によって違うはず。

男のなりをして宮仕えをすることがマイノリティだと知っても、「やっぱり女性に戻ります」とはならず、決めた道を進む沙羅双樹。強い子だ。

女して女性東宮に仕える弟・睡蓮

いっぽう弟の睡蓮は女性として一人前になる裳着の儀を終え、しばらく自宅で物思いにふけったり物語をしたためたりしていました。そんなおり、帝が交代したことにより新たに東宮(皇太子)となった女性に尚侍(そばでお世話をする役目の女性)として仕えることになります。

はじめは嫌がっていたけれど、いざ東宮さまにお会いした途端、その愛らしさに好感を抱く睡蓮。

東宮自身も、いわゆる「腰かけ」で尚侍になる女性が多いなか、自宅の書物を宮廷にすべて持ってくるなど、覚悟を決めて仕えてくれる睡蓮に好感を抱きます。

ふたりの優しいお父さん

沙羅双樹と睡蓮の父は、宮仕えをすることになったふたりをいつも心配しています。ふたりが子どものころは、生まれたままの性で生きてほしいと願うあまり、沙羅双樹と睡蓮を鞍馬山まで行かせるなど抵抗していましたが、これはふたりがさらわれそうになって失敗。それ以来、娘と息子のありようを受け入れ、支え見守る優しいお父さんに。ふたりが入れ替わっていることは、宮廷の人はもちろんのこと、ふたりのおじいちゃんにも内緒なので気苦労が絶えません。

物語はやがて大河へ

最初は姉弟の成長と葛藤を中心に描いているのですが、ふたりの出世にしたがって物語は少しずつ世の権力争いにフォーカスされていきます。

そして沙羅双樹も睡蓮も、すべてをささげてお守りしたいと思える人のために、自らの道を決めます。

そのためにふたりは重大な決断をし、もうひとりの自分として生まれ直し、その道をひた走るのです。

この姉弟、おもわず応援したくなっちゃうのですよね。いつでも一生懸命で、決めた道にまっすぐで。なので不穏な展開になってきたときはハラハラしました。どうかふたりの願いを成就させてあげたい、といつのまにかそんな気持ちになってくるのです。

濃いキャラが次から次へと出てきて目が離せない

物語のなかで沙羅双樹は女であることを隠して結婚までするのですが、沙羅双樹にもその妻にも手を出しちゃう色男がいたり、東宮を廃して権力を手に入れようとする坊主が暗躍したり、権力争いに敗れたかつての宮さまが陰の実力者(仏教的な意味で)だったりと、登場人物はみんな濃い。病気や天災が祟りとして恐れられ、祝詞やら呪詛やらが飛び交っていた時代、強い坊主はチートキャラだと確信いたしました。

こういった脇のキャラクターやその背景までしっかりと描かれているので、読み応えがあります。ほんの一コマの表情で「お、これは…」と気づかせてくれるさいとうちほ先生の表現力たるや。

帝の命は? ふたりの思いはどうなるの? と続きが気になりまくる漫画でした。

作者は漫画家にあたって大幅に改変されたそうなので、一度原作にも触れてみたいものです。