【Amazonプライム・ビデオ】「この世界の片隅に」―私はあなたとここで生きる

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戦争映画だけど、戦争を主語にしない

この映画をひと言であらわすとき、「ひとりの女性が戦時中にどう生きたか」というよりは、「ひとりの女性が生きた時代に、戦争があった」といった表現がしっくりきます。

主人公・すずさんの心にあるのは、ほのかな恋心、結婚への憧れと戸惑い、知らない街に嫁いだ心細さ、子どもがなかなかできないという悩み、故郷への思い。なかでもふるさとを離れてからの、打ち消そうとしてもなかなか消えてくれない「うちはここにいていいのかな」という心許なさは、多くの人が共感するものでしょう。

いる場所を決められなくて一度はふるさとに帰ろうとまでしたすずさんは、やがて夫・周作の「帰る場所」になったことを知ります。そして戦災孤児の居場所にをつくることができるようになる。これは、ひとりの女性が挫折しそうになったり立ち上がったりしながら、世界の片隅に居場所を見つけていく物語ではないでしょうか。

戦争は日常の中にある

戦争をテーマにした物語ではこれまで、ひんぱんに「戦争とは、水と油のように日常とは混ざり合わない異質で巨大もの」として描かれてきたように思います。そんなときに用いられるキーワードはだいたい「特攻」「原爆」「敗戦」の3つで、戦争を直接的に知らない私には、それが知識として蓄えられていきました。

しかし、この映画を観たとき、知っていたと思っていたことを本当はまったく知らなかったのだと痛感しました。戦争は日常のそこかしこにあったんです。割れたお茶碗のように、虫食いの着物ように、ポツポツと日常のなかで「あら、困ったわ」とつい口にしてしまうほどの大きさで。

やがて旅行ができなくなり、 食べるものが手に入らなくなり、 建物疎開が行われ、 「こまい」ものだった戦争はだんだん大きくなり、日常を侵食していく。そしてついに、晴美の命とすずさんの右腕を跡形もなく消し去るほど、巨大で不気味なものとなってしまう。

肥え太った戦争というものが山よりも大きな怪物となった8月6日の描写は、何度見ても緊張するし鳥肌が立ちます。

「わたし」がそこにいる

すずさんがもし現代に生きていたらどんな女の子だろう?と想像しました。きっと、 おいしいスイーツを見つけたら家族に買って帰るような、 のほほんとしたやさしい女の子だったんじゃないでしょうか。学校では美術部に入ったかもしれないなぁ。

すずさんは戦時中にいた私であり、私の友だちでもあるのです。

アニメという作り方を生かした存分に演出と、すずさんの声をあてたのんさんの演技もすばらしい。何度見ても、また見たくなる映画です。

基本データ

この世界の片隅に
監督・脚本:片渕須直
原作:こうの史代
劇場公開日:2016年11月12日