【本】「犯罪小説集」―犯罪のカーテン裏をのぞき見る
2016年に発売された、芥川賞作家・吉田修一の短編集です。2019年に「楽園」というタイトルで映画化されます。
私は吉田先生のファンで、この本は函入りの愛蔵版を購入しました。書店でのサイン会に出向いて、名前入りでサインを入れていただいたのでもはや家宝です。そのため、ここでは吉田先生と呼ばせていただきます。
数々の犯罪を通して人を描く
「犯罪小説集」には5つの短編が掲載されています。共通しているのは「犯罪」を取り扱っていることくらいで、 物語的なつながりはありません。しかも、まったく違うにおいのする作品が揃っています。
吉田先生の近年の著作には、わりとひんぱんに「犯罪」や「犯罪を犯した人」が登場します。しかし、どの作品でも本題は犯罪そのものではなく、罪を犯した人やその周囲の人にスポットが当たっています。「犯罪者の追及」や「動機の解明」がメインテーマのサスペンスとは異なるので、そういった要素を求める人には物足りないかもしれません。
今作ではタイトル通り、「犯罪」そのものが中心軸にある…と思いきや、やっぱり「人間」なんですよね。罪は人が犯すものであり、逆にいえば犯罪が存在するのは人間が罪を罪だと決めているから。そう再認識せずにはいられない1冊でした。
元ネタになった事件とともにひもとく
吉田先生は、これらの物語を執筆する際に実際にあった事件をヒントにしたそうです。そのため、「元ネタの事件はこれじゃないか」といった噂が飛び交っています。
「青田Y字路」―そこが すべての分かれ道
「青田Y字路」は「今市事件」とも呼ばれている、2005年に起きた「栃木女児殺害事件」だと思われます。 この物語のキーは「Y字路」。今市事件の被害者の女の子は、実際にY字路で同級生と別れたあとに連れ去られました。実際のY字路の写真は「論座 今市事件 法廷にたちこめる「霧」の正体」のページに掲載されています。
このお話、「元ネタは北関東連続幼女誘拐殺人事件(このうちの1件である足利事件がよく知られている)じゃないか」といった意見もあります。しかし、幼い少女が複数人行方不明になるという点だけは共通しているものの、状況や概要が違いすぎるので、元ネタというには至らず参考にした程度ではないでしょうか。
足利事件については、ジャーナリスト・清水潔氏の著作「殺人犯はそこにいる:隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件」が詳しいので、気になる方はこちらを読んでみてください。
5つの短編のなかで、もっともモヤモヤした話です。物語の中のこととはいえ、子どもが犠牲になるのは不快感がぬぐえません。それに、犯人が実行犯なのかどうなのか、5編の中でもっともあいまいです。
また、それだけではなく、犯人とされる豪士に対する周囲の無関心ぶりもまたモヤモヤの理由です。吉田先生は、偏見と差別の描写がとにかくものすごい。人の内面にある無意識の部分をこんなふうに描けるのは、吉田先生だけだと思っています。
「曼珠姫午睡」―同級生という近くて遠い存在
「曼珠姫午睡」は、結婚を匂わせて男性に近づき、金を貢がせては殺害を繰り返した「婚活連続殺人事件」だという意見が散見されます。しかし、新潮社のサイト「Book Bang」に掲載されているインタビューを読む限り、これは誤りです。
吉田 うろ覚えで、スナックで階段から突き飛ばされて死んだ事件があったよね、というところから始まったんですが、どの事件か特定できなかった。これかも、という事件のスナックを見には行きましたけど。
出展:吉田修一『犯罪小説集』〈刊行記念インタビュー〉人間が犯罪者に興味を持つのは、自分と切り離せないところがあるからじゃないですか
そもそも、作中の犯罪者・ゆう子と、「婚活連続殺人事件」で死刑判決を受けた木嶋佳苗死刑囚は、人物像がまったく違います。いつでも人間をていねいに描く吉田先生が、そこをなあなあにするはずがない。私はそう感じました。
この話は、犯罪者であるゆう子の同級生・英里子の視点から描かれます。千差万別の家庭環境や背景を抱えた子どもが同じ教室に詰め込まれることで生まれる「同級生」って、つくづく不思議な存在です。英里子も、ニュースで事件を知ってインターネットを頼りに情報を集めていくんですよね。子どものころは毎日顔を合わせていた同級生のことを。
この物語で印象的に使われる曼珠沙華は、毒を持つ花であると同時に、仏教では「見る者はおのずから悪より離れる花」とされています。幻影のなかでゆう子が差し出すそれを、受け取らなかった英里子。彼女が「普通の主婦」であることを選んだことに、安堵感と一抹の物足りなさを覚える結末でした。
「百家楽餓鬼」―カネの切れ目がなんとやら
「百家楽餓鬼」のモデルは自らの地位を利用して100億を超える借金をつくり、背任の罪で実刑が確定した2011年の「大王製紙事件」ですね。これは疑う余地がありません。5つの短編のうち、唯一殺人ではない事件を取り扱っています。
この話はめちゃくちゃギトギトしています。寝不足の中年男が分泌する脂まみれです。
主人公の永尾は、一晩で何億もギャンブルに使う生活を送りながら、その一方で妻が打ち込む大規模なチャリテイー事業にも参加している大会社の御曹司。アフリカの難民キャンプのシーンだけは、熱くて乾いた風がギトギト感を吹き飛ばしてくれます。
ほかの4編の「犯人」たちは、どこか地に足がついていない感じがあるのですが、この話の主人公はすごく人間くさい。そう感じるのは、犯人目線の描写が多く、ハッキリと感情が描かれているからかもしれません。
この話で印象深いのは、永尾の同級生が「小銭を持つと指が臭くなる」と言って小銭を捨てるシーンですね。確かに、お金はたくさんの人の手にふれるので汚れます。しかし、逆に考えてみれば、お金が汚れるのはそれを触る人の手が汚れているからにほかなりません。
永尾は、冗談ぽく同級生が落とした小銭を拾います。このころは、小銭を捨てた同級生と比べるまでもなくまともな感覚の持ち主だったのでしょう。ここで、「金を拾うことに恥ずかしさを感じないくらい、うちは本当の金持ちだ」と自覚もしていますが。
監視カメラのある家で育ち、見張る側からいつしか見張られる側となった永尾。個人的に、5編のなかで一番じっとりとへばりつくような読後感があって忘れられない話でした。ギャンブル依存症の話でもあるので、そういった視点からも読み応えがあります。
「万屋善次郎」―あいまいすぎる善と悪
「万屋善次郎」は2013年に起きた「山口連続殺人放火事件」でしょう。衝撃的な事件ののち、ネットを中心にさまざまな情報が流れ加害者への同情の声も聞かれるようになりました。
主人公で犯人の善次郎は、だらしなかったり性根が曲がっていたりというわけでもなく、いたって普通の人です。しかし、限界集落に移住してからはそこに住む人とうまくつきあえず、集落の中で孤立していきます。
個人と個人のすれ違いであれば、和解できる日が来るかもしれません。しかし、何十年もそこに住んでいる善次郎以外の住人は、同化したひとつの巨大な生命体のようにも感じられます。こうなると、ヒグマに人間が丸腰で立ち向かうようなもの。勝ち目はないでしょう。そしてついに、強硬手段に出るのです。
吉田先生は罪を罪として断ずるような物語は書きません。この作品でも、善悪とはまったく違うところからの視点を取り入れていらっしゃるように感じました。「悪人」を思い起こさせる名作です。
「白球白蛇伝」 ―1度乗った舞台から降りることはできない
「白球白蛇伝」は2004年に発生した「元千葉ロッテマリーンズ投手強盗殺人事件」ですね。一部では清原事件だという意見もありますが、新潮社のサイト「Book Bang」に掲載されているインタビューで吉田先生が「書き終わった直後に捕まった」とおっしゃっているので誤りです。
そもそも元プロ野球選手という共通項があるだけで、 「覚醒剤の所持・使用」と「金に困って殺人」ではまったく事件の本質が異なります。
主人公の早崎は元プロ野球選手で、現役時代はスター選手として花を咲かせるも、若くして引退。しかし、引退後も担ぎ上げられた場所から降りることができず、後輩におごるなど景気よく振る舞って借金を作り、苦しみます。
この話にはメロドラマのような雰囲気があります。読んだときは、映像化しやすそうだなという印象を受けました。
映画「楽園」として
「さよなら渓谷」「横道世之介」「悪人」「怒り」など、吉田先生の本はその多くが映画化されています。
しかし、この「犯罪小説集」はあまり映画化に向かないだろうと考えていました。短編集ですから、どれか1本では短すぎるし、かといって全部扱うには長すぎます。
しかし映画化が発表され、ふたを開けてみたら「青田Y字路」と「万屋善次郎」を融合させたストーリーになるとのこと。おどろくと同時に「ああ、なるほど」とも思いました。この2編には、共通して「草のにおい」があるな、と思い至ったからです。
これまで吉田先生の作品は、かなり原作に忠実に映画化されてきました。今回、2つの短編をつなげるということで、どんなストーリーになるのか楽しみにしています。
映画「楽園」基本データ
監督・脚本:瀬々敬久
原作:吉田修一
出演:綾野剛/杉咲花/佐藤浩市
劇場公開日:2019年10月18日
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